不断の努力と普段の努力

英語,研究,教育実践,読書記録,ヴィオラのこと。ヴィオラのような人を目指しています。

(授業実践)リアクションペーパーの利用と用途の探求

はじめに

 リアクションペーパー(RP)は,授業の振り返りのツールとして用いられるペーパーのことを指します。元々大学の授業で開発され,大福帳やミニッツペーパーと言われるものの総称として使われています。ただ,大学以外でもRPは使われており,当ブログでも高等学校の実践である,河田(2012, 2014)を紹介しています。

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 こういった振り返りツールの効用としては,早稲田大学の向後先生がシンプルにまとめてくださっていますが,その中で「「まじめに授業を聞こう」ではなく、大福帳を書かせよう」という文言が大事だと考えます。教員が指示することは簡単ですが,それだとやらされている感が出る。その紙があることで,授業に集中しようと思ってもらうこと,書いたら良いことがあると思ってもらえることが,学習者を主体的に授業に向かわせる工夫なのではないかなと思うのです。

 

すべての授業で大福帳を使おうkogolab.wordpress.com

実践

 RPは授業の最初に配布し,いつでも書いても良いこととしています。疑問に思ったことがあったら即書き留める。授業の最後だと忘れてしまうことがあって,「何書こうと思ったか忘れた」という声が実際にRPを始めた時にありました。

 何年か継続して行なっているのですが,現在のフォーマットは理解度の項目と自由記述の2つのみです。理解度は4段階で評価してもらい,自由記述欄には「分かったこと・分からなかったこと・感想...」つまり何でも書いても良いこととしています。復習のクイズを出すパターンもありますが,記述方法としては何を書いても良いと緩くしています。ただし,それだと「楽しかった」とか「分かった」といった単純なコメントが出てくるので,記述の質を高めるために,私は間接的な介入を行なっています。それは,RPのコメントを全て打ち出して,なおかつ返信もすることです。「こうしなさい」ではなく,クラスで披露されることによって,単純な記述は淘汰されていきました。また,学習者はそういった返信をされることを求めています。こう記述に応答することで質は主観的な判断ですが,上がっていると思いますし,また実際にそういったことを示した研究もあります *1

 記述を打ち出して分かってきたことですが,RPに色んなことを書いてきますので,学習者も教員である私も授業で言っていた内容を整理することができますし,逆にこれを言えばよかったという気づきもあり,それを見て次の時間で思っていたアプローチを微調整して,授業に臨むことも増えてきました。また,こういった打ち込みをすることで,自分がどんな動きをしていたかという思い出すきっかけ,あるいはティーチングジャーナルそのものの機能も持っています。

 ところでRPは,現在記名式にしています。以前はそうではなく,ペンネーム制度にしていたのですが,誰が書いているかを把握するために記名式で現在は行なっています。比較ですが,ペンネームだと(筆跡から誰が書いているのかは分かるのですが)お遊び感覚な記述も散見されていました*2。ところが,記名式にすると,真面目な記述が多くなったように感じられます*3。指導に対する指摘をもらうこともありますが,全体の場で公開されるということで,こういったコメントも全て打ち出し,自分の反省材料に利用しています。記名式で直接書くのは勇気がいることだとは思いますが,そう率直に書いてくれていることは指導側としてはとてもありがたいです。

 また,先ほど紹介した河田(2012, 2014)では,両辺10cm程度の紙を配布して,ということでしたが,今の私の実践では向後先生のような大福帳形式にしています。というのも,こうすることで,過去に自分が何が分かったか,何につまずいたかというのが可視化されるからです。こう記述が蓄積されていく楽しみも授業を通して感じてもらえたらと今は思っています。

最後に

「「子どもたちをアクティブ・ラーナーに育てる」という言葉を最近はよく耳にしますが,子どもたちの主体的,対話的な深い学びを具現しようとするならば,教師自身がまずアクティブ・ラーナーであるべきではないでしょうか。」(多賀一郎・苫野一徳 (2017) 『問い続ける教師 ―教育の哲学×教師の哲学』, p. 3)

 

問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学

問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学

 

 RPの中で,生徒たちは,質問したり,わかったことを確認したり,個人的な質問を投げかけたりとアクティブに色んな反応を示してくれます。そうなると,こちらも本気になってアクティブラーナーになることができます。そうやって,共に授業を創造していきます。準備には時間がかかりますし,今も悩みながら授業をしていますが,やってみると面白いです!

*1:小野田亮介・篠ヶ谷圭太 (2014) 「リアクションペーパーの記述の質を高める働きかけ—学生の記述に対する授業者応答の効果とその個人差の検討—」『教育心理学研究』 62, 115-128. doi:10.5926/jjep.62.115 

*2:これはこれで良いと思います。

*3:ちなみに,ペンネーム制度はあった方が良いという記述もあったので,紹介してほしいペンネームがあったら,書いても良いよということにしています。

(論文レビュー)リアクションペーパーを用いた高校英語における授業改善(河田, 2012, 2014)

河田浩一 (2012)「英語学習者の自律と動機づけを促進する方法ー質的調査を通して動機づけを促進する探究的実践ー」『中部地区英語教育学会紀要』41, 229-234.

河田浩一 (2014)「質的調査を通して「教室生活の質」を高める探究的実践」『中部地区英語教育学会紀要』43, 311-318. についてのまとめです。

2017年9月現在,J-Stageなどでオープンアクセスとなっていないのですが,とても良い論文だと思うので,簡単にまとめておきたいと思います。

論文概要

 論文の趣旨としては

教室で何が行われているかについて理解を深めることにより,教室生活の質の向上に努め,学習者の動機づけを促進させる」ことを日標として取り組まれた(河田, 2012, p. 229)。

となっています。教室生活の質の向上というのは,教員・学習者それぞれ何をしているかを捉え,それを理解し,授業・人間関係をよりよくするところにあります。

 河田 (2012, 2014)では,学習者の実態を把握するために「リアクションペーパー」(RP)を用いています。またリアクションペーパーとは,授業の振り返りのツールとして用いられるもので,河田先生のRPは「今日の授業でわからなかったこと・わかりにくかったこと・もっと知りたいこと・何でも書いてください」という形で学習者の理解度とつまずきを捉えるという形で実施されました。RPは一片10cmほどで特に記名はなされていなかったようです。実践は夜間定時制高校で行われましたものですが,中学校の最初の段階で躓いている学習者がいる,そんな背景がありました。

 RPでは,学習者の「分からない」に寄り添うということに主眼が置かれています。実際にこの実践では,指導者(河田先生)が思っていた以上に学習者が初期の段階で躓いているという記述が散見されます。さらに,個人的には,「一人の学習者の記述がある授業活動を生み,その授業活動がさらに他の 学習者の記述を引き出し,対話がクラス全体に広がっていく事例もあった。(河田, 2012, p. 231)」というところに大きな意味があると思います。つまり,学習者がふと疑問に思っていたことに対して,実は「私も」という学びの化学反応が起こるということです。ここにRPの大きな利点があると私は考えます。

 そして,このRPを通して,授業に対する姿勢が学習者だけでなく,授業者も変容して行ったことが書かれています。例えば,

問題演習を行っている際の学習者の取り組む姿勢・進捗状況・教師の説明を聞く際の学習者の表情,指名され答える際の学習者の言葉遣い・態度などを意識的に観察することにより,授業内容のレベルが学習者にとって適切であるか,授業活動は学習者を惹きつけるものになっているかなどを理解するよう努めた (河田, 2012, p. 233) 。

 とあります。このように,RPの記述を見る中で授業の見え方も変わってくることに私は魅了されたんですね。

 RPには好意的なことが書かれるとは限らず,無記名であるが故に辛辣なことを書かれることもあります。2014年の論文は辛辣で,ここに書くことが憚れる記述も散見されます。しかしながら,河田先生はその記述を冷静にティーチングジャーナルに記述し,どのように対応していくかを考えています。

「全部分からない」と言うコメントは, 分からないところを具体的に指摘できるレベルではないということのように思われる。しかしながら,「バカでもわかるようにしてえ!!」というコメントから,分かるようになりたいという前向きな姿勢が感じられる。 このようなコメントを寄せてくれた生徒の動機付けを保ちながら,少しずつわかるようにさせるように工夫したい(河田, 2014, p. 312 下線はオリジナル)。

記述を受け,では次にどう進んでいくか,それを考えるという姿勢が大切だと思います。そして,それを受け止め,授業を改善していく中で授業がより良い方向に変化して行った記述が続きます。結果として,最終的に(一部批判的な意見もあるが,)肯定的に受け入れられ,

教師と生徒の間に一定の関係性が築けたばかりではなく,RP導入前は集団としてのまとまりがなかったクラスが,RPでのやり取りを通して,生徒同士の間にもお互いを意識しあう視点が生まれ,次第にクラスの中に親和した雰囲気や結束性が生まれていったようにも感じられた(河田, 2014, p. 314) 。

とあります。この論文の中では,河田先生の授業に対する戦いや葛藤というものが感じられるのですが,それでいて,上記のまとめのように昇華できるところに,先生の人の良さを感じました。そして,RPを通じて学習者に寄り添うことで,テストの点数だけでは見えない,人間模様が垣間見れること,素晴らしいなと思います。

 私もRPはやっているのですが,授業の最後3〜5分でできる活動です。記述をまとめるのは大変ですが,教員もアクティブになれます。また,教えているクラスが違うと記述も全然違ってきますので,同じように教えてはいけない,学習者が出す雰囲気を受け止めて,授業をしなければという気持ちになります。さらに,こちらも授業中には気づけない気づきを与えてくれ,それが授業を変容させることにも繋がっていきます。ありがたいことです。

 RPは大学でミニッツ・大福帳などという名称でなされていますが,中等教育ではあまりなされているような印象を受けません。また振り返りをさせてそのままやりっぱなしに終わっているもの(主観ですが)が多いように思います。こうした学習者の記述に寄り添っていくこと,面白いと思いませんか。

(教育実践) ノートを作るのは誰のため?

 ノートの使い方についての話です。

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の中で,家庭学習としてノートをしっかり使ってもらおうということを今年度は考えて,ノート作りの指導をしています。ポイントは復習としてノートを使うということ!

 未だに予習として,ノートに英文を書きその和訳を書くという背筋の凍るような実践を見ることがあるのですが...復習を促す仕掛けとして,取り入れています。もちろん評価にも入れます。取り入れる理由はいくつかあって,①内容を定着させるツールとして利用してほしいから,②自分だけのオリジナルなものを作ってほしいから,③自分で考え自分なりの学習方法を見つけてほしいから,といった感じです。

 私の実践の中では基本的に,プリントベースで行なっており,読解していない英文を書かせるようなことはもちろんありません。指導方法としてはラウンド制*1を取り入れた授業展開になっています。その文脈の中で,授業の中ではノートは使ってもいいし使わなくてもいいというスタンスを取っています。

 あとノート提出させる時はそれを提出する必然性を持たせなければならないと考えます。これはあるあるだと思うのですが,ノートを綺麗に取っているか,プリントがきちんと貼られているかで評価されるという話を聞くことがあります。果たしてそれには何の意味があるのでしょうか。そんなノートの評価だったら見なくていいじゃないかと思いました。そんなこんなでノート作りの実践を行なっております。

 実際には,以前のブログ記事にもあるように,

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対訳シートを半分に切り離し,本文を貼り,余白に定着していない単語を書いたり,文法のまとめを書いたりし,もう日本語訳の方には,意味を思い出しながら英語を書いてみようということをそれとなく授業のオリエンテーションで伝えました。*2 すると色々と工夫をして,書いている生徒もいれば,書けないと思しき部分を赤で書く生徒(赤シートで隠して使うのでしょうか),サマリーを書いたりしている生徒色々いました。

 それが点数に顕れる子,そうでもない子色々いるのですが,最近ふと気になることが浮かび上がってきました。ここからが本題です。

やたら丁寧すぎる問題

 ノートがやたら丁寧な生徒が多いのです。*3 確かにこちらが求めているものは書いてくれている。しっかり取り組めている。ABC評価(「+」の評価があるので,6段階評価)で言えばA+の生徒さんもいるのですが,やけに綺麗。これどんだけ時間掛けたの?っていうのが結構ありました。でも,テストは英語だけじゃないんだよー他の教科の勉強も頑張らないと...という訳ですが,その生徒たちに聞いてみるとすごく作るのに時間がかかった...その割にテストはできたけど思ってたほどでは...というコメントを聞いて,ハッとなりました。これって前述のノート丁寧に作らないと評価下げられるっていうアレの弊害なんじゃないかと思ったんですね。あともう一つは,ノートを綺麗に作ろうとするがあまり,英語は書かれているけど,全体を1回書いて終わりとか...一応例となるプリントを配って,沢山書いたりとか,わざと間違って修正している例とか示していたのですが,あまりにもなんか勿体無いなぁと思って。

 そこでこういうことを伝えました。

  • ノートは使い倒そう
  • 大事なところは意識をしよう

という話。特に最初の「ノートは使い倒そう」という話では,ノートを書くのは誰のため?という話を伝えました。「先生のためではありません。生徒みなさんのためです。」ということを伝えると拍子抜けしていた人もいたように見受けられました。正直意外でしたが,今まで気づけていなかった自分が恥ずかしかったです。指導者のために評価されるということで丁寧に書き,それでテストできていなかったら,本末転倒ですよということをお伝えしました。もちろんテストのためだけにノートを作るわけではないですよということも併せて伝えました。また,「大事なところは意識をしよう」という話でも,1回丁寧に書いて終わりではなく,汚くてもよいから書く,声に出しながらとか,意味を思い出しながらとか,できないものにはチェックを入れながら書くとか,という話をしました。

 今回の実践で,質的な変容が見られたらとは思うのですが,どうなっていくのでしょうか...。同時にノート提出することの方向性を再考すべき人が大勢いるのではないか,そんなことを感じた次第です。

 お読みいただきましてありがとうございました。

*1:鈴木寿一先生が提唱されている方法で,負荷を掛けながら学習をするもの。http://ocehp.com/roundsystem.pdf

横浜の5 Round System

www.japanlaim.co.jp

よりも大分前から実践が報告されています。

*2:これというような指導はしていません。教員がこうしなさいというのではなく,授業の中ではストラテジーを色々と紹介しています。

*3:男子は大抵汚いですし,書いている量も少ないですが