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不断の努力と普段の努力

英語,研究,教育実践,読書記録,ヴィオラのこと。ヴィオラのような人を目指しています。

(読書記録) 学校で教えてくれない英文法―英語を正しく理解するための55のヒント

 

学校で教えてくれない英文法―英語を正しく理解するための55のヒント

学校で教えてくれない英文法―英語を正しく理解するための55のヒント

 

 

対象: 高校レベルの文法書を理解できる方

→小説などの高尚な文を読めるようになりたい方

 

 先に結論を書きますと,楽して英文法を学びたいという方にこの本は向いていません。資格などの実用的な側面とは相反する書物です。学習英文法を暗記して理解した人がそれをさらに理屈として理解したい人だけが読む本です。私も指導の参考になるかなと思い,読了した次第です。

 内容云々は恥ずかしいかな,正確に読めていないところもありました。思考訓練として良書だと思います。しかしながら,この本を読んでいて内容よりも筆者(薬袋[みない]氏)の考えが気になりました。それは「はじめに」の部分に集約されています。少し長いですが,引用します。

 「英語ブーム」といわれて久しいのですが,英語を学ぶすべての人が楽しく勉強しているわけではありません。少しでも楽しく楽に学べるようにと学校や出版社が繰り出すあの手この手の工夫やアイデアが,かえって英語に興味を失わせる結果になっていることも少なくありません。 

 簡単なことをわざと難しく説明するのは愚かなことです。従来の英語教育にそういう嫌いがあったことは否定できません。その反省の上に立って,なるべく無用な努力をせず,楽に英語を学べるように,いろいろ手立てを講ずるのは当然のことです。しかし,だからといって,ある程度入り組んでいて,それなりに頭を使わなければ習得できないことまで,単純な機械的作業を繰り返せば努力無用で自然に身につくかのように宣伝するのは,人を欺くことです。頭を使わなければ習得できないことを,頭を使わずに習得しようとしても,楽しくありません。苦痛なだけです。人間は年齢がいけば,推理力,批判力,判断力が発達し,それを使うことに喜びや快感を覚えます。英語の勉強も例外ではありません。頭を使わなければ習得できないことは,適切に頭を使って習得できたとき,初めて楽しいと感じるのです。

 ところが,今の日本の英語教育は「頭を使わないことが楽しく学ぶことだ」という不思議なテーゼに支配されています。外形が同じ表現でも,場合を分けて,それぞれの成り立ちを理解すれば,異なる意味を持つことを容易に納得でき,納得すれば自然に頭に定着するのに,一切の分類や理屈を排除し,ただ結論だけを丸暗記させる。楽しく勉強するための工夫なるものは,暗記の苦痛をごまかして,なんとか努力を継続させるための手立てにすぎない。これではまるで動物の調教です。私には理性的である人間を愚弄するものとしか思えません。

 私は,暗記を全面否定しているのではありません。語学の勉強に暗記は必須です。そうではなくて,暗記以外の勉強(=頭を使って考える勉強)を排斥する風潮に異議を唱えているのです(pp. iii-iv,太字はブログ筆者によるもの)

 太字でハイライトしたところがあるのですが,これには「??」となりましたし英語教育を否定するのは問題ないのですが,この緒言にはがっかりしました。何を根拠に?特に「排斥」という言葉はどうだろうかと。理屈を説明したくても,それについてこられる生徒がどれだけいるかというのが現実問題にあると思うわけですが...「排斥」は言い過ぎでしょう。

 勿論,薬袋氏の考えを真っ向から否定するわけではなく,理屈が理解を促すことや授業の活性化につながることもあります。時折,ここぞというところで理屈の説明を加えると,急に真剣な顔でこちらを見てくれる生徒も事実,います。ただし,先述のように,ついてこられる生徒もいればチンプンカンプンで諦めてしまう生徒もいます。よって理屈を用いることは諸刃の剣というわけです。チンプンカンプンな生徒に対しては,「私の指導不足でした,すみません」では済まないんです。ですので,機械的なことに終始せざるを得ない場合もあります。本書を読んで,指導の在り方について改めて考えさせられました。ただし自分は生徒のためにできることをするだけだと思っていますし,他の先生方もきっとそうでしょう。排斥しようとは思っていないはずです。

 

 最後にここまでネガティブなことばかり書いてきましたが,ハッとさせられることも書いてありました。常に英文に,自分の専門以外の英文でも触れなければならないと奮い立たせてくれる文章でした。

英語のプロでも,「慣れ」だけで英語をやってきた人は,見たことがない英文は理解できず,なまじ自分に自信があるだけに,そういう英文はすべて不自然な悪文ということにしてしまうのです。特に,それが入試問題だったりすると,「受験英語=悪」という固定観念がありますから,すぐに「自分が読めない文=悪文」で片付けてしまうのです(p. 116)。