不断の努力と普段の努力

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(学会記録)(雑感) Feasibleでsustainableな英語教育を目指して

 本日は,第21回KELES(関西英語教育学会)の卒論・修論研究発表セミナーに参加しました。大学の後輩や知り合いの先生のご発表を拝聴し,意見交換を行う時間は私にとっても刺激的な時間でした。的外れな質問も多くしてしまい反省でしたが,どれも面白い発表ばかりで思わず質問してしたくなってしまったというのが正直なところです。関係者の方々,ありがとうございました。

 さて,今回のセミナーでは,スペシャトークとして八島智子先生 (関西大学)のご講演があったのですが,それで考えさせられることがあったので,備忘録までにまとめてみようと思いました。ご講演のタイトルは「外国語情意研究の視座 WTC, L2 Self, Community」で,内容としては大きく3点

  1. なぜWTCを研究をするのか?
    → コミュニケーション(対話)に開いた英語教育をめざす
  2. 情意研究を5つの鍵概念(国際的指向性・Ideal L2 self・Identity・Imagined community・Dynamics of motivation)から見る
  3. 鍵概念(理論)・研究・実践の統合

でした。理論に関するところは,この研究の第一人者なので,理路整然とされていて,勉強になるところしかなかったのですが,3の実践の統合の話で「?」となるところがありました。

 それは,教育実践の例として「模擬国連」というものが使われていたこと。実践としては,確かに素晴らしいもので,それを通して動機づけの部分が伸びていることが,グラフからも読み取ることができました。参加者の声を見ても,それがありありと伝わってきて,良いものでした。ただ,ここで湧いてきたのは,それだけで良いのだろうか?ということです。このMotivation研究は学習者中心で,それに関わる教員の視点が語られることがありませんでした。その視点も欲しかったなぁというのが正直な感想です。

 「模擬国連」というプロジェクト自体は立派で,できたらすごいなぁと思う部分はあるのですが,そこに関わる教員のことを考えると,きっと先生方は大変な思いをして取り組まれてきたのではないかなと思われます。お話を聞いていると,このプロジェクトについては,懸命な教員の足場がけ(scaffolding)が行われ,また教師が全行程を引っ張っていくということが(私の聞き取りミスでなければ)言われていたかと思います。私はそんな話を聞いて学習者もそうですが,それに携われた先生方に心から拍手を送りたいなと思いました。

 こういうscaffoldingで教員が頑張らなければならなくなる場面というのは,研究レベルではないのですが,聞くことがあります。*1 Motivation研究の中で, A vivid, elaborate and feasible ideal self is motivationally effective. (Dörnyei, 2009, p. 29) という引用が紹介されていたのですが,これは教員にとっても当てはまると思います。また,contextを見ることが大切と,八島先生はおっしゃっていましたが,私は,今回のご講演をみて,こういう「模擬国連」のような大掛かりなプロジェクト,すごくやってみたいと思う気持ちを持つのですが,現在のcontextを鑑みると,例えば現場の多忙化や同僚性の問題から,やりたくてもできない(feasibilityの問題)というモヤモヤが生じてしまうのです。さらに「生徒のため」という言葉は昨今の部活問題にも通づるものがありますが,危険思想だなと感じますし,それよりも,派手さはなくても,feasibleでsustainableな英語教育を目指したいなと思うのです。お恥ずかしい話かもしれませんが。

 話はやや脱線しますが,そのご講演の前にfeasibleでsustainableだなと感じさせる興味深い発表がありました。それは中学と高校で教科書を中心とした指導だけで学習者の力が伸び,また情意面でもポジティブな影響を及ぼしたという,滋賀県の先生のご発表です。*2 その先生の発表では,単語帳を使わず,無駄な参考書を持たせず,無駄な予習を排し,徹底して教科書を4技能をフル活用させながら,力をつけさせるというもの。その中に内容理解だけではなく,推論発問を取り入れたり,音読筆写やディクテーションを入れているというものでした。この発表を聞いて,質問するときに語彙のなさから「すごい」という言葉を連発してしまったのですが,本当に地に足のついた素晴らしいご実践だと思いました。また,このやり方は教員にとっても負担がさほど大きくなく,エコだというようにもおっしゃっていました。そう,こういうところを目指したいものですね。学習者も教員もwin-winな関係。

 閑話休題。やや批判的な論調になってしまいましたが,決して八島先生のお考えがよろしくないということを言っているのではなく,学習者だけでなく,教員の存在も学習者の動機づけのagentとしては間違いなく関与しているので,そういったところも自分自身調べられたら面白いんじゃないかなと思ったまでです。余談ですが,この記事を書こうと思ったきっかけは「研究を読んだ時にダイアログ(反論したいという想い)が起こる」ということを八島先生がおっしゃっていたことに起因するものです。それを具現化してみようということでこんな記事を書いてみたまでです。

*1:例えば,ディベート(アカデミック)で,さほど学力の高くない学習者に対して,なんとか議論が成立するように,教員がかなりscaffoldingでテコ入れをするという話を聞くと,こういう活動の意味とはなんなんだろうなと思うことがあります(それは上がやれ!と言っているからやっているだけなのでしょうけども) これはとある高校の先生から聞いた話です。

*2:個人的な知り合いでもあり,名前を出してもよかったのですが,許可をいただいていないのであくまで匿名で